映画


青年監督郭敬明の映画『小時代3――刺金時代』の中で、オークラガーデンホテル上海のグランドボールルームは主役の宮洺のバースデーパーティー会場となっています。色濃いヨーロッパの宮廷の雰囲気の中で、台湾のスター、郭采潔が演じる顧里と宮洺が軽快に踊る様子は、素晴しい一幕となっています。詳細はこちらから

著名な作家である路内の脚本による映画『紐約紐約』は、1990年代の上海に住む青年が夢を追うストーリーが描かれています。台湾の男優、阮経天が演じる主人公の路途は、ファイブスター級ホテルのチームリーダーで、歴史的な面影を残すオークラガーデンホテル上海が、ストーリーの重要な舞台となっています。詳細はこちらから

テレビドラマ


萩生田宏治監督、『深夜食堂』の制作スタッフにより、癒やし系を引き継いだ『深夜タクシー』は、ストーリーの舞台を「食堂」から「タクシー」に移したものです。深夜のタクシーは、あたかも移動する人生劇場で、フランスナント三大陸映画祭で最優秀男優賞を受賞した成泰燊が演じる深夜のみ営業するタクシー運転手の目に映る様々な世の中、その中のストーリーの一つにオークラガーデンホテル上海が舞台となっています。詳細はこちらから

ドキュメンタリー


中国中央テレビ局制作の文献をメインテーマとした作品『百年ホテル』の中で、『神秘の花園――フランスクラブ』と題してオークラガーデンホテル上海の歴史が紹介されました。多くの証言者が登場し、当時の様々な出来事が語られました。詳細はこちらから

小説


2015年茅盾文学賞を受賞した金宇澄作の『繁花』は、元フランス租界であった盧湾区を舞台とし、60年代から現代に至る社会絵巻となっています。このエリアのランドマーク――---オークラガーデンホテル上海も小説や挿絵に登場します。

  • 風雲 • 上海灘

  • 拝聴 • 虹口

  • 対話 • 張愛玲

  • 出会い • ヒューデック

  • 宝探し • 旧市街

  • そぞろ歩き • 蘇州河沿い

オークラガーデンホテル上海は旧フランスクラブの面影を残し、再び世界の舞台として多くの要人の方々をお迎えしています。

中国の主要経済都市として成長著しい上海は、世界が今最も注目しているデスティネーション。オークラガーデンホテル上海はフランスクラブの面影を残し、再び世界の舞台として多くのお客様をお迎えしています。開業以来数十人の国賓の方々にご利用いただきました。

ご利用いただいた要人の方々

茂名南路にあるオークラガーデンホテル上海は上海の中心地に位置しており、高級繁華街として有名な淮海路エリアの重要部分を構成しています。ホテル北側の延安路高架道路を抜ければ、お出かけに便利な南京西路エリアにも接しています。南側は淮海中路に面しており、iapmモール、パークソン百貨店、ユニクロのグローバル旗艦店など有名なショップが隣接しています。

文化的象徴としてのオークラガーデンホテル上海は、注目に値する立地も持ちあわせています。旧フランスクラブの基幹部分は上海市の優秀歴史建築物の典型であり、ヨーロッパ大陸文化の雰囲気を色濃く受け継いでいます。国泰電影院、上海文化広場は国際映画祭が行われたり、国際的歌劇が演じられる会場です。優雅で趣のある小径、様々なテーマショップ、書店、そしてカフェなど、全てがあなたを魅了します。

オークラガーデンホテル上海の周囲には、まだまだたくさんの楽しい発見があなたを待っています!

ホテル庭園全景

周辺町の風景


昼間の眺望景色

夜の眺望景色


淮海路の夜景

庭園

中国が中華人民共和国となってからは、建物が文化クラブとして使われ、庭はサッカー場、運動場として使われていたそうである。しかし、1959年に毛沢東が上海の滞在場所とするようになると、散策できるようにプロムナードを配し、樹木をいれて庭園の形に整えたということである。なお、庭のドームパビリオンは、屋上にあったというパビリオンに似せて造られた。かつてクラブハウスの屋上には丸屋根のパビリオンが2つ建てられていた。これらは、1949年以降に、取り壊されたとのことである。

階段

東口玄関から二階へ通じる階段には、その当時の芸術性が鮮明に反映されています。優美な曲線を描く金属製の手すりはフランスで製造された物です。階段の曲がり角にある大きな窓には、元々ステンドグラスがはめ込まれていました。現在は以前の資料も写真も見つからず、当時の様子は想像に頼るしかありません。

2階ホワイエ

石柱上部に佇む優美な裸婦のレリーフは、フランス古典装飾様式が東洋に伝えられた証と言えます。「文化大革命」の間、これらのレリーフは理解ある人々によって封印され、ガーデンホテル改築時に偶然にもその姿を現すことができました。以前のシャンデリアは鉄で模様をかたち取り、ガラスをはめ込んだだけの物で、この様な仕様は、現在のバンド(外灘)に残る多くの建造物にも見られます。但しそれでは照度が足りないために、特注のウィーン製シャンデリアに取り替えられました。四方の柱や壁に付いている照明の枠組みは、見た目は金属ですが、実は木製品に金色の塗料を施した精巧な芸術品でもあるのです。

グランドボールルーム

かつては上海でも有名な舞踏会場でした。楕円形で、ホール中ほどの床にはバネが埋め込まれており、しなやかな弾力が踊る人に優しく設計されていました。そしてもうひとつの特徴が、船底のような天井にある色とりどりのガラスを散りばめた巨大なステンドグラスです。その色鮮やかな天井から放たれる光は、宴の席を彩り温かく包み込みます。現在ではスプリング床は固定されていますが、優雅なワルツ・情熱的なタンゴが人々の心を引き付けて止まなかった昔を再現できる日が来ることでしょう。

中小宴会場

基本的には1926年に建てられた時のままの姿を留めています。当初これらの宴会場はアーチ型のドアでつながっていましたが、その後壁で隔てられ、独立した宴会場となりました。文化倶楽部として使用されていた当時、「後のものが前のものを促して、たえず前進する」という意味合いから、四方の壁に揚子江の波をイメージした装飾が加えられました。

正面バルコニー

外観に美しいアクセントを添えている正面のバルコニーは改修以前に、雨でも散策できるように改造され、欄干部分に壁や窓を設けて室内の一部とされていた。しかし、そのまま保存することは困難と判断し、改造部分を取り払い、原形に戻され たものである。

風雲•上海灘

まばゆく輝く灯りはオールド上海の数知れぬロマンを覆い隠し、慌ただしい足取りが色褪せたおぼろげな記憶を踏み砕く。この度の訪問は、心の中に昔日の面影を鮮やかに呼び起こすだろう。
コースの見所:
1)モラーヴィラ(陕西南路30号)
様々な色が入り混じった美しい壁面を持つ、細緻で華麗なスカンジナビア様式の美しい小さな城。この建築は上海に現存する数多くのガーデンハウスの中でも、最も精巧かつ優美である。建築のインスピレーションはエリック・マーラーの娘、一人の美少女が見た夢から得られた。
2)首席公館(新楽路82号)
新楽路沿いの旧ロシア正教会の向かいに位置する堂々とした白い洋館。ここはかつて上海の伝説のギャングスター杜月笙の公館だった。この邸宅は1932年に建築を開始し、その頃勢力を誇った杜月笙が当時の著名なフランスの建築家ラファイエットに設計を依頼した。その外観は当時の新古典主義建築の中で最もファッショナブルなものの一つであった。
3)巴金故居(武康路113号)
フランスアオギリの街路樹が美しい武康路113号には、一戸建ての静かな趣をたたえた庭付きの洋館がある。「真実を語る」巴金は半世紀もの間、ここに居を構えた。数々の困難を経験した巴金の旧居は当時の様子がそのまま修復され、文学の巨匠が生活した環境や作業風景が完全な形で保存されている。
4)黄興故居(武康路393号)
武康路に沿って進むと、泰安路の手前に近代マンション建築が佇んでいる。力強い輪郭と装飾スタイルを持つ深い褐色の寄せ石細工の壁面と、壁面にあしらわれたレリーフが非常に目を引く建物。ここは以前、黄興の住居で、孫文も何度か滞在したことがあり、黄公館と呼ばれている。

拝聴•虹口

ここは周恩来が中共特科の指導に奮闘し、日本人が正義のための抗戦に身の危険も顧みず突き進み、左翼作家連盟が真理を求めて筆をふるった過去があり、まさに映画「永遠に消えない電波」そのものの雰囲気が漂っている。歴史はもう存在しないかもしれないが、その刻印は永遠に消えることはない。
コースの見所
1)鲁迅故居(山陰路132弄9号)
8元の入場券、10分の解説で、一味違った物語を知ることができる。魯迅の日記を読むと、魯迅がかつてここでソ連の女スパイと頻繁に接触していたことが分かる。それはなぜか?知りたければこのコースに参加してみよう。偉大な指導者である魯迅を偲びながら、その時代の手に汗握る感覚を体験できる。
2)李白烈士故居(黄渡路107弄15号)
1950年代の革命映画「永遠に消えない電波」は、世代を超えて新中国の建設に奮闘する人々を鼓舞してきた。解放戦争の間、李白は命の危険を冒して地下無線基地を黄渡路107弄15号に設けた。ここは虹口区では珍しいオランダ式ガーデンタウンハウス。永遠に消えない電波は、白色テロの恐怖の下での英雄の物語を伝えている。
3)左翼作家連盟遺址(多倫路201弄2号)
三階建ての洋風建築、白いラインのレンガの壁が目に心地よい。当時、中国の左翼作家たちはここで頻繁に活動していた。中国左翼作家連盟の誕生は、革命文学運動の新たな段階を意味した。記念館には貴重な文献史料や写真、「左連」作家の作品の一部、自筆原稿、烈士の遺品等が陳列されている。
4)多倫路
魯迅公園をさらに南へ少し進むと、曲がりくねったL字型の狭い通りがある。全長は550mにも満たない。この通りには異国情緒あふれる上海風建築がたくさんあり、国内外の著名な文化人の旧居が数多く保存されている。文化資源が豊富なこのエリアは、「現代文化の重鎮」と呼ばれている。
5)山陰路
「ウルトラ級」のスパイのゾルゲチームの構成メンバーであった尾崎秀実が情報工作を始めた場所は虹口だった。尾崎秀実と中西功は当時どちらも山陰路に住んでいた。かつての激動の時代に思いを馳せ、当時の秘密戦線の物語をたどれば、今なお胸が高鳴り深い感動を覚える。

対話•張愛玲

張愛玲は上海とは深い縁がある。彼女は上海で生まれ、上海で育ち、文学者としての第一歩を踏み出したのも映画創作の発端も上海。また初めて恋も上海で始まり、上海で終わりを告げた。ある意味では、上海が彼女を育てたと言えるだろう。
コースの見所
1)常徳公寓(常徳路195号)
張愛玲は香港から上海へ戻り、愛丁頓公寓へ入居した。ここで張愛玲は2作の「沈香屑」、「傾城之恋」、「赤い薔薇と白い薔薇」、そして傅雷が「我々文壇の最も美しい収穫の一つ」と讃えた「金鎖記」等、一連の重要な作品を完成させた。
2)美麗園(延安西路379弄)
張愛玲が愛した相手は、美麗園に住んでいた。「今生今世」を読むと、この本がまるごと「美麗園」の中に存在するような感覚に襲われる。張愛玲と胡蘭成の愛憎劇はまさにここで始まった。
3)熊仏西楼
美麗園を出て右手へ進むと上海戯劇学院がある。ここは元ドイツ移民のカントリークラブで、張愛玲と胡蘭成がしばしばデートした場所でもある。

出会い•ヒューデック

コースの見所
1)緑房子
オールド上海の「顔料王」呉同文の邸宅として1939年にヒューデック氏が設計した、当時上海で初めて自家用エレベーターを備えた住宅。緑房子は建物全体が船のような外観をしている。もしかしたらこの頃のヒューデックは望郷の想いがつのり、「船」は家を懐かしむ気持ちの表れだったかもしれない。緑房子の後にはヒューデックは上海で建築設計をしておらず、1947年にひっそりと上海を離れた。
2)大光明電影院
前衛派建築士ヒューデックの代表作。縦横のラインが交差する構造の外観、クリーム色の曲面を用いた外壁、大きなガラス窓と長方形のガラスの内照サインは、まるで航行中の船のようである。中へ進むとまず目に入るのはカシューナッツのような独特の形をした休憩ロビーで、上映室へとゆるやかに続く。休憩ロビーの中央に照明を配した噴水があるのも面白い。劇場全体に流れるような曲線の内装が施されている。
3)国際飯店
国際飯店を訪れたら必ずロビーに足を踏み入れ、上海の都市測量の基準点を見てみるべきだ。1階と2階の間には歴史陳列館があり、さらに隣の国際飯店ベーカリーのバタフライパイもおすすめ。ヒューデックの建築作品の中で品質が最も高く、影響が最も大きいのは間違いなく国際飯店であろう。1934年の落成から1983年まで半世紀にわたり雄を唱えた「上海の最高峰」は、建築家ヒューデックの現代派建築思想と装飾芸術スタイルの代表作である。
4)武康大楼
5本の道が交わり流れが止まることのないこの場所には、現在の武康大楼、かつての諾曼底公寓(ノルマンディー・アパート)が佇む。ヒューデックはフランスのルネサンス期の建築スタイルを再現し、このため第一次大戦時のフランスの有名なノルマンディー級戦艦と外形が酷似していることからこのように名付けられた。ヒューデックはこの三角形の土地を余すところなく利用し、アールを帯びた30℃の鋭角三角形のアパートは航海中の戦艦のように雄大な姿をしている。
5)哥倫比亜商圏(コロンビア・エリア)
新華路を散策すると、注意していれば異国情緒にあふれた邸宅群に気づくはずだ。1930年に海外からたくさんの華僑が上海に押し寄せ、これら華僑の需要を満足させるために、ヒューデックはこの通りにイギリス、アメリカ、オランダ、イタリア、スペイン等、様々なスタイルを集めた万国屋敷街を作り上げた。

宝探し•旧市街

コースの見所
1)上海老街
「方浜」は元々は黄浦江に直接通じる河川で、旧市街の発展の中で重要な役割を担っていた。1999年に当時の人民政府がかつての廟前大街の整備開始を決定し、粋を集めた修復方法により新しいものを古く見えるよう改装し、上海老街と命名した。
2)巡道街と天灯弄
巡道街と天灯弄には長い歴史がある。ここは上海の最高権力である道台衙門(道単位で管轄する役所)があった場所で、巡道街もこれにより有名になった。政治の変化が起こる度にここが焦点となり、当時の人々にとってあこがれの場所であった。その頃は街灯もなく、道台衙門には高い燈篭が掲げられ、これを天灯と呼んだ。曲がりくねった路地のあちこちに天灯が見られたため、天灯弄と呼ばれるようになった。天灯弄には書隠楼が、巡道街には水仙宮と宜稼堂があり、火神廟だけが残っていない。史跡となっているこれらは残念ながらいずれ消えゆく運命にあるので、その前にぜひ見に行こう。
3)九間楼
明末の学者、徐光啓の出生地が現在の黄浦区であることを知らない人は多い。旧市街の喬家路234-236号に並ぶ建物は、上海市文物管理委員会により「明徐光啓故居」と刻まれた大理石の記念碑が壁面に掲げられている。ここは徐光啓が生まれ、長い間生活した場所だ。この建物は元々全フロアで9部屋あり、1937年の第二次上海事変で日本軍により2部屋が破壊されたが、人々には今でも「九間楼」の名で親しまれている。
4)龍門村
龍門村の建築風貌は新天地の石庫門をはるかに凌ぐが、場所が旧市街であることからほとんど知られていない。龍門邨は「龍門書院」から名付けられ、間の番号が跳んでいるものの、上海で最も深く長い弄堂である。建物の多くは前世紀の二三十年代に建てられ、計76棟。特徴的なのはその配置が極めて整然としていることだ。建築様式は非常にバラエティに富み、スペイン式、スコットランド式、バロック式から中国式住居まで様々。これは現在の上海でもまれに見られるもので、「万国住宅群のミニチュア版」と呼ばれている。
5)文廟路と学前街
学前街を訪れると、様々な識者の写真や儒教の経典の抜粋が壁に掲げられている。文廟は「孔廟」とも呼ばれ、上海市中心部で唯一の孔子が祭られた古代建築群。旧市街に現存する有名な旧跡の一つで、700年以上の歴史がある。今ではここはグルメとフィギュア愛好者の天国となっている。
6)夢花街
「生きた上海の旧市街」と呼ばれる夢花街では、昔の上海の生活環境を体験できる。
7)大境閣
現在の上海旧市街の中を東西方向に横切る大境路は、東は河南南路から始まり、西は人民路で終わる。その昔、上海城の城壁に大境矢台が設けられ、後に大境台に大境関帝廟が建てられたことからこの道の名前が付けられた。またここには上海で唯一の城壁が残されている。雪が降った後に楼上から眺める一面の雪景色は「江皋霽雪(川岸で雪がやみ快晴になる)」と呼ばれ、昔の「上海八景」の一つに数えられていた。

そぞろ歩き•蘇州河沿い

コースの見所
1)圓明園路
「外灘源」とは外灘裏の細い通り「圓明園路」を指す。圓明園路を歩くと塗装を施していない裸の赤レンガと深い色合いの九龍花崗岩の地面が出迎える。外灘の「万国建築博覧会」の起点である圓明園路には14棟のオールドハウスが現存し、前世紀二三十年代の建築様式がそのまま残されている。
2)在上海イギリス領事館
中山東一路33号はかつて在上海イギリス領事館があった場所。外灘源で最も古い建物で、140年以上の歴史があり、外灘源の中心である。
3)旧リチャードホテル(浦江飯店)
1882年、中国で初めての電灯がここで灯された。同じ年に、ヨーロッパのサーカス団がここで初演を行った。1984年には中国で初めての社交ダンスパーティーが西太后の60歳の誕生日を祝って開催された。1901年に中国で初めての電話を接続、1908年にヨーロッパのトーキー映画を露天で放映。これらはリチャードホテルの輝かしい歴史である。ロビーを通り過ぎる時、両側の柱に掲げられたいくつかの古い写真に気づく。アインシュタイン、ラッセル、チャップリン、彼らは皆これまでに同ホテルを訪れた世界的な文化人達である。